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Critique

謝罪スパイラルと龍の爪と脱亜論

 元プロ市民で今は全自動人型謝罪声明文朗読機のカンガンス首相が8月10日に妙な談話を発表したのは皆さんご存じの通りだ。 読み上げたのはカンガンスだが、仕込みは在学中に全共闘運動に入れ込んで東大を中退した仙谷官房長官。 なんでも今年は韓国併合100年に当たるということで、日本の行く末よりもジャスコの今日の売り上げの方が気になるオカラ外相によれば「日本政府として何も言わないことは、あり得ない選択だ。過ったときに素直に謝罪することは当然だ」ということなのだそうだ。
 弱肉強食の時代、日本が国際社会のなかで生き残っていくために迫られた二者択一。 すなわち帝国主義によって支配する側にまわるか、或いは欧米列強の植民地になって支配される側になるか。 日本が選択したのが前者だった。 とりわけ当時のアジアやアフリカは常に西欧列強の植民地になる危険にさらされていた。
 戦争というのは悲惨なものだ。 人間は戦争という名においてどんなに非道な行為も行ってきた。 あえて「非人間的な行為」とは言わない。 人間は誰しもがその内奥に狂気を有すると思うからである。 そうした人間の狂気を表出させるのが戦争という装置なのだと考える。
 謝罪とは何か? 悪いことをしたと謝ることである。 戦争なんて自分の側の論理からすれば絶対的な善である。 そこに相手側の視点は無用。 だから普通は謝罪などしない。 日本が謝罪をしたという事実は戦史上極めてレアケースだが、この際その是非は措く。 世界中にひとつぐらいそんなバカ正直な国があってもいい。 問題なのは、世界中で唯一日本だけが戦争に敗れたうえに果てしなく謝罪を繰り返していることである。

  アメリカ…ベトナム戦争でベトナムに謝罪したことは一度もない。
  イギリス…香港を植民地に。謝罪したことは一度もない。
  フランス…ベトナム・アルジェリアを植民地に。謝罪したことは一度もない。
  オランダ…インドネシアを植民地に。謝罪したことは一度もない。
  ポルトガル…マカオを何世紀にも渡り植民地に。謝罪したことは一度もない。
  ドイツ…ナチの虐殺行為は認めたが、侵略を謝罪したことは一度もない。
  ロシア…東欧諸国を戦後弾圧し続け。民主化後謝罪したことは一度もない。
  スペイン…フィリピンを何世紀にも渡り植民地に。謝罪したことは一度もない。
  中国…世界各地で昔も今も侵略と虐殺を続けてるが謝罪したことは一度もない。
  北朝鮮…朝鮮戦争で韓国を侵略。謝罪したことは一度もない
  韓国…朝鮮戦争で北朝鮮を侵略。謝罪したことは一度もない

  日本…全ての戦禍国に何度も謝罪している。ついでに賠償までしている。

 櫻井よし子氏によれば謝罪は今日現在通算36回に及ぶ。 このままいくとたぶん5年、ヘタすりゃ毎年ごとに謝罪を繰り返し、それは半永久的に続くだろう。 謝罪の対象がマトモな国ならこんなことにはなっていない。 大東亜戦争当時、日本の支配圏に置かれた国のうち未だ執拗に謝罪と賠償を要求しているのは中国、韓国、北朝鮮だけだ。 歴代の日本政府は彼ら極東三馬鹿国からの執拗な謝罪と賠償の圧力に屈するかたちで村山談話や河野談話、そして今回の菅談話と謝罪を繰り返してきた。 さらには従軍慰安婦などという存在自体が虚構で実態は追軍売春婦だった対象にまでそれは及んだ。 また朝鮮半島からの強制連行の事実も存在しない。 ついでに言えば創氏改名を強要したこともない。
福沢諭吉 なぜ彼らがこうも執拗に日本に対して謝罪と賠償を要求し続けるのか? そのヒントは龍馬伝のオープニングにある。 評論家の石平氏の著作に詳しいが、東アジアの各国に共通する想像上の生き物である龍。 その爪の数が華夷秩序の序列を表していることはあまり知られていない。
 すなわち中国を頂点とする華夷秩序において、中国で描かれる龍の爪の数は皇帝を意味する5本、朝貢国の朝鮮では4本、それ以下の序列である日本では3本となる。 龍馬伝のオープニングに出てくる龍もこれに習っている。 中朝韓に媚び諂うのが生きがいのNHKならではだが、これにも諸説あって、一概に龍の数の多寡がそのまま序列とはいえないとの説もある。 朝鮮は縁起の良い奇数の3本を日本に先んじて使われてしまったが故に「残り物」の4本にせざるをえなかった、などなど。
 たとえ実際の序列が中国>日本>朝鮮であったとしても、中国が朝鮮を序列の下に置き、置かれた朝鮮は日本を下の序列に置いているというこの意識は、呆れたことに21世紀の今も変わらない。 中国と朝鮮から見れば、格下と見下していた国から支配下に置かれた事実が悔しくて仕方がない。 そこで日本に謝罪をさせ続けることで自らの優位性を示し続けたいのである。 諸悪の根源は中国を世界の中心に頂く中華思想と、その中国の衛星国として媚び諂いながら生きていこうという朝鮮の小中華思想にあるが、日本は明治維新とともにこの不毛な序列から離脱したのが近代国家としての発展へと繋がり今日に至っている。 1885年、時事新報で福沢諭吉が上梓した「脱亜論」は今日においても100%通用する不変の真理である(全文はこちら)。 以下はその現代語訳。

  日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。
  この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、
  同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、
  日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
  情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りな
  がら、過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
  この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、
  しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ば
  かりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも
  「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。(中略)
  もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
  「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に
  与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
  日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。
  ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
  この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
  悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
  私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
  (明治18年(1885年)3月16日)

 1100年前から変わらないものが今になって変わるわけがないのだが、前の首相はたしか「東アジア共同体」なるものの実現を声高に叫んでいたように記憶する。 馬鹿も休み休み言え、寝言は寝て言えといいたいところ。 あの無脳がルーピーと呼ばれたゆえんだ。 日本人は日狂組狂育の弊害でどーでもいいことは繰り返し覚えさせられるが、大事なことはまったくと言っていいほど教えられない。 日本人一人ひとりが紙幣を目にするたび脱亜論を想起できるよう、今後少なくとも1100年間一万円札の肖像はこのままでいいのではないだろうか。
 そもそも韓国併合は「Annexation」であって植民地化「Colonization」ではない。 今や謝罪の枕詞になってしまった「日本による植民地支配により多大なる苦痛云々」というのは事実と異なる。 仮に朝鮮半島が日本に併合されていなかったら今ごろ「チョソンスタン」になっていただろうし、運が良くても中国の朝鮮自治区になっていた。 日韓基本条約締結交渉以降、日本が一方的に譲歩してきた結果が今日の植民地認識や度重なる謝罪要求に繋がっている。 そもそも敗戦国である朝鮮が戦勝国然として謝罪や賠償を要求すること自体笑止千万。 恥を知らない民族にしかできないことだ。
 2010年の今、すべての日本人がバイブルとすべきが依然として福沢諭吉の脱亜論であることに変わりはない。

日韓併合前後 朝鮮半島写真館

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ディスカッション

謝罪スパイラルと龍の爪と脱亜論」への2件のフィードバック

  1. オランダはインドネシアに公式に謝罪したことあるらしいですよ。
    2005年ですが。「オランダ、インドネシア 謝罪」でググったらいくつか出てきました。
    ちゃんと調べた方がいいですね。
    http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-08-18/2005081807_02_3.html

    投稿者: 通りすがり | 2011年12月5日, 9:48 pm

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