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つくば戦争

 物騒なお題だが893の抗争の話ではない。
 学生時代、卒論のテーマにしたのが建築におけるポストモダニズムだった。 そのなかでもマニエリスムの一大傑作と言われた磯崎新のつくばセンタービルはその代表的な作品として評価されており、僕の卒論でもその検証に原稿用紙十数枚を費やした。
 大学生活最後の夏、友人と二人で就活のために上京したついでにつくばまで足を伸ばした。 当時、ビルのすぐそばの自販機で買って飲んだマックスコーヒーの甘ったるい味は今でも覚えている。 九州にはない缶コーヒーだった。 ちなみにその時以来一度も飲んだことはない。
 つくばセンタービルは引用と暗喩のモザイクのような作品だった。 クロード・ニコラ・ルドゥーのアル・ケ・セナンの王立製塩所の柱、色彩とエレベーションを反転させたミケランジェロのカンピドリオ広場など、磯崎が建築に込めた記号を解読していくのは宝探しのようで心が踊った。
 先日筑波山に行った帰り、久しぶりに当地を訪れてみようと立ち寄った。 失われた10年が20年になろうとしている今、バブル以前に建てられた建築はしばしば時代錯誤を絵に描いたような姿を晒していたりするものだが、二十年の時を経てそこに鎮座していたつくばセンタービルにはそうした時代性や価値観の変化といった試練を乗り越える品格があったのだろう。 以前と大きく変わらぬ印象だった。 しかし観察者である僕の方には当時の熱狂も興奮も今はもうない。 まるで学生時代に熱を上げた女の子と二十年ぶりに再開した時のような気まずさ。 しばし呆然、そしてただそれを眺めた。
 突如聞こえてきたけたたましい鳥の鳴き声がモノローグに終わりを告げる。 しかし鳴き声の主は鳥ではなく街路樹の下に置かれたスピーカーだった。 何が始まるのかと思っていると、上方に異様な気配を感じ、見上げるとそこにはおびただしい数のムクドリによって構成された黒い巨大なアメーバ状の物体が接近していた。

 ムクドリの群れが駅前商店街の街路樹を占拠し、住民の方々がその糞害に憤慨しているというニュースはよく耳にする。 複数の自治体で捕らえたムクドリの鳴き声を収録し大音量で流して撃退した成功例があり、ここでもその方法を試みているようなのだが、この映像を見てもわかるようにムクドリたちは結局目的の街路樹に取りついた。 確かに効果はありそうなのだが、ムクドリたちもここを追われたら他の町を目指すのだろうし、現状では単なる厄介払い的な対策にしかなっていないようである。 一羽なら可愛い野鳥に過ぎないムクドリも群れを成すとたちが悪い。 だがそれは人間も同じだ。
 つくばセンタービルが巨大な鳥小屋の暗喩に見えた。

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