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Iiko et Tama

3・11のその後

 地震の時は羽田空港にいた。 搭乗予定の便のゲートの待合室には大勢の人がいた。 揺れはもちろん大きかった。 長い揺れがおさまって窓の外を見ると空港に隣接するビルから黒煙が上がっていた。 間もなくNHKのニュース映像に切り替わったモニターに次々映しだされる映像が、この地震が言語を絶する規模のものであったことを伝えた。 目の前で黒煙を上げているビルもニュース画面に映し出された。 そして津波に呑み込まれていく田園地帯を空撮で捉えた映像を誰もがただ無言で眺めていた。 誰もが発する言葉すら失っていた。
 ほどなく便も欠航となり、事実上陸の孤島となった羽田空港を脱出するために要した時間は4時間。 それから更に3時間、その日のうちに自宅に帰り着くことのできた自分がかなり恵まれていたことを知るのは後日のことである。 知人の多くは都心の会社に泊まったり、もしくは5時間も7時間もかけて徒歩で自宅に帰ったり・・・。 首都機能のほとんどが麻痺していた。
 それから10日余り。 僕の目に映る風景も様相を異にした。 スーパーからパンが消え(優先して被災地に送られている)、納豆や牛乳が消え(生産工場やパッケージ工場の罹災)、米やカップ麺が消えた(買い占め)。 近隣のガソリンスタンドはずっと店を閉めたまま。 在留外国人の多くに東京からの退避勧告が出されたせいか、自宅の隣のインターナショナルスクールが休校になった。 計画停電の影響で幹線道路の街灯は消され、各企業のネオンや屋外広告もほとんど消された。 当然パチンコ屋なんか営業していないだろうと思ったらそんなことはなくてちゃっかり営業している。 世の中は不条理だ。 おおかた電気は節約せずに出玉を節約しているのだろう。 この国難の時に韓国と北朝鮮にせっせと送金してやってる連中は「非国民」の謗りを受けても仕方ないと思うのだが。
 自宅も店も倉庫もすべて1階なので、地震の被害は思いのほか少なかった。 今年に入ってからというもの、何故かは知らないが妻が「東京にでっかい地震が来る」と常々口にしていたこともあり、そしてまたNZ地震の発生もあり、ちょうど地震の前日にも店で罹災した際に何処に避難するかを確認していたのだった。 即席の避難場所となった100円パーキングに集まった近隣の人々は、一人ヘルメットを被って避難してきた妻に面食らったかも知れない。 そんなわけで幸い人的被害もなし。 むしろうちの場合一番の被災者はインコのたまちゃんであったろう。
 

 二人とも自宅にいなかったので地震の時たま吉がどうだったかは知らない。 ただ、その後も頻繁に起こる余震の時のたま吉のパニックぶりを見るにつけ、たま吉にとってあの日のM9の本震がかなりのトラウマになっていることは明らかだ。
 あれ以降、たま吉はP波を検知できる能力を身につけたようだ。 たま吉は通常扉を開放したゲージの中にいるのだが、P波を検知するや否やゲージを飛び出して妻の肩に飛んでくる。 すると直後に地震の揺れが我々を襲い、その時たま吉は肩の上で「(;´Д`)ハァハァ」と荒い息をしているのだ。
 役に立つようで、その実あまり役に立たない緊急地震速報インコの誕生である。

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