//
you're reading...
Odyssey

岩手の旅 その3 釜石へ

 遠野馬の里の見学を終えると時刻は既に午後4時半過ぎ。 迷った挙げ句、そこからクルマで40分ほどの釜石に行くことにした。
 とはいえもちろんまだ物見遊山で行ける状況ではない。 一方で映像や写真でしか目にしていない本当の被災地の姿をこの機会に目にしておきたいという気持ちも強い。 行くとなれば少なくとも現地での復旧・復興作業の邪魔にだけはならないようにそっと行きたいと考えていたのだが、現地作業がほぼ終了している夕方のこの時間なら大丈夫だろうと考え、釜石方面にクルマを走らせた。
 国道283号線から仙人峠道路へ。 釜石に近づけば近づくほど行き交うクルマには自衛隊や警察の車輌が増えてくる。 本当にご苦労さまです。 いよいよ釜石市内に入る。 しばらく行くと右側に新日鉄釜石が見えた。 その敷地には膨大な量の瓦礫が積み上げられている。 新日鉄が釜石の瓦礫の仮置き場になっているのだ。
 工場のプラントを右に見ながら左折して南リアス線のガードをくぐり、甲子川に架かる橋を渡ると風景が一変した。 信号が消えている。 商店街のシャッターが異様な形にめくれている。 だがそれはここが被災地の入口であることを示す道標に過ぎず、海に近づけば近づくほど、建物は次第にその原型を失い、あの日この街を飲み込んだ津波の恐ろしさを今も生々しく記憶にとどめていた。
 間もなく陽が沈むこの時刻、街に人の姿はほとんど見られない。 主を失った廃墟の群れ、そこかしこに置き去りにされている無残な形状のクルマ、不気味な静寂。 発すべき言葉が見つからない。 放心状態のままかすかな海の匂いに導かれるように港の堤防沿いの道に出ると、巨大な貨物船「ASIA SYMPHONY」が堤防に食い込むように打ち上げられており、道はクルマ1台が通るのがやっとの状態。 本来そこにあるべきではないものがあることの異様さはこの街の存在そのものを虚構化し、東京に戻った今、あの街のすべてがフィクションであったかのようにさえ思える。
 釜石も地盤沈下しているらしく、道路は所々海水の浸食を受けている。 震災から4ヶ月が経とうというのに、この街にあるのはいまだ絶望だけだ。 それでも漁港には津波を逃れた小さな漁船が翌日の漁の準備に追われ、街角にはこの時間になっても片付けをする人々の姿も見られた。 ふと見上げると、津波の時に多くの人々の緊急避難先となり、そこからいくつかの衝撃的な映像が撮影された高台には、「ガンバロウ!!釜石」の横断幕があった。 写真の一枚でも撮ろうと思って来たのに、結局何も撮ることができなかった。
 帰路、国道283号線は渋滞した。 遠野が釜石や大槌町のみならず大船渡や陸前高田での震災ボランティアや復興関連業者の拠点になっているためだ。 なにも働いていない自分たちが渋滞の一因になってしまったことに少なからず心苦しさを覚えながら、そして直前まで網膜に焼き付けてきた釜石の街の風景を脳裏に反芻しながら車中のふたりは言葉少なだった。 考えてみれば午前は天空の楽園で馬たちと遊び、午後には海抜0メートルの奈落の底、この世の地獄とも言うべき場所に来た。 いずれも望んで行った二つの場所だったが、一日のうちに行くには少しばかりその振幅が大きすぎたかも知れない。

 
つづく
 

広告

Noisy Majority について

思うところを書く。

ディスカッション

コメントは受け付けていません。

Calender

2011年7月
« 6月   8月 »
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  

Archive

Drink it !

コーヒー(無脳)

Instagram

安藤忠雄展
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。