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Odyssey

岩手の旅 復興支援編 その3 二日目

 午前6時、宿舎となっている体育館に大音量のチャイムが鳴り響く。 もぞもぞと寝袋から這い出す。 寝袋の上で朝のヨガを始めるスキンヘッドの修行僧のような男。 起き抜けに昨日買っておいた弁当をかきこむ若者。 7時15分からラジオ体操。 そして朝礼。 二日目の今日は陸前高田の気仙町に向かう。 ここだけで総勢100人が投入される最も大きな活動現場だ。
 釜石、両石、鵜住居、大槌と被災地を見てきたが、陸前高田は平野部が多い分、被災地域も広域に渡っており、思わず息を呑むような惨状が広がっていた。 瓦礫がうず高く積まれる仮置き場。 ねじ曲げられて切断された大船渡線の線路。 地盤沈下を起こし今も海水を湛えたままの土地。 ほとんどが海中に没した高田松原。 その只中にあの一本松が立っている。 すべてが津波で破壊され尽くしたこの陸前高田で、それは奇跡としか言いようのない光景だ。
 活動現場はここでも津波が到達した最深部の畑。 そこから海の方向に向かって瓦礫の撤去が進められており、既に撤去が済んだ畑では土壌から塩分を除去するためにひまわりなどが植えられているところもある。 この陸前高田で目立つのはカモメ。 いまだ瓦礫のなかにある魚の死骸を求めて陸地の奥深くでも群れをなしている。 蠅も多い。 干枯らびて腐敗した魚を瓦礫のなかからつまみ上げるとびっしり蛆がついている。 悪臭が鼻をつく。 他に目立つのはウレタンフォームや発泡スチロール。 断熱材や魚市場で使われていたものだと思われる。 基本的に土に還らないものはすべて撤去の対象なのだが、これらは非常に細かく砕け散っており、しかも土色に変色しているので見つけることすら困難である。 ピンセットが必要なぐらいだ。 そうかと思えばかつては家の骨組みだった木材や網などの漁具、重油にまみれたビニールの束、コンクリートや瓦の破片など大きなものもある。
 陸前高田班のなかには神奈川災害ボランティアネットワーク倉敷市災害ボランティアセンターの皆さんもいた。 倉敷・・・遠くからご苦労様です。 いずれも遠野市内に個別の宿泊拠点を有し、遠野まごころネットの傘下に入って被災地の復興支援活動をしている。 そうした自治体ボランティアも僕のような個人ボランティアも、一旦現場に入ってしまえばやる仕事は同じである。 活動現場には各種の道具に仮設トイレが4基と手洗い用の水が入ったポリタンクが2個あるだけだが、特に不便を感じることはなかった。

 午後の作業を終えて遠野に戻る。 またあの一本松の前を通る。 その凛とした姿からは神々しさすら感じられる。 あれだけの大津波に耐え、そしてまた市内のすべての建物やクルマ、ありとあらゆる物質を凶器として身に纏った引き波の直撃を免れることがどれだけ「ありえない」ことだったのか。 すべてを破壊し尽くされたこの街に立ってみて初めてわかる。 もしあの津波がこの街を襲った時に僕がこの街にいたとして、生き残れていただろうか。 そんな想像すら絶望的な気分にさせるほど津波はあまりに広範囲に、あまりに奥深くまで及び、この街のすべてのものをなぎ倒していった。
 帰りのトイレ休憩で立ち寄った地元の商店には既にこの一本松を復興のシンボルにした様々なグッズが売られていた。 衛星画像からもはっきりと捉えられた一本松の姿(陸前高田ユースホステル付近)。 それは文字通り陸前高田の人々の唯一の希望である。
 

 
つづく

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岩手の旅 復興支援編 その3 二日目」への2件のフィードバック

  1. ご苦労様でした。
    さすがです、九州男児。

    投稿者: isogairyouhou | 2011年8月10日, 9:15 pm

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