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アジア人物伝

南方熊楠

 南方熊楠シンポジウムに行った。 純粋な好奇心からである。
 熊楠については大昔に中沢新一の「森のバロック」を読んで以来ずっと興味の対象であり続けているのだが、なかなかその探求を深める機会に恵まれなかった。 しかし、7月に初めて遠野に行き、柳田国男が「遠野物語」に記した遠野の風景と接したのがきっかけとなり、その柳田とも「神社合祀反対運動」を通じて交流を持った熊楠への興味が再燃したのであった。
 「知の巨人」、そして「異形の天才」とも称される南方熊楠。 その生涯は破天荒かつ波乱万丈だ。 なかでも熊楠が柳田とやり取りした書簡のなかで「エコロギー」という言葉を用い、その概念を日本に初めて紹介したのは1910年。 今から100年も前のことである。 当時その言葉には現在のエコロジー運動のような意味はまだ付与されておらず、「生態系」という解釈がなされていた。 粘菌の研究、つまり植物学に始まった熊楠のフィールドはやがて民俗学や宗教学へと広がっていった。 その生涯については以下のサイトが詳しい。

あの人の人生を知ろう~南方 熊楠

 会場には熊楠の遺品や標本の展示スペースがあり、熊楠が13歳の時に英語の原書を参考にして描き上げた自作の教科書「動物学」の原本や、「和漢三才図会」の写本も展示されていた。 また彫刻家の保田龍門が製作した熊楠のデスマスク、昭和天皇が田辺湾沖の神島(かしま)を訪問した際に粘菌標本を入れて献上したキャラメルの箱など、ひとつひとつの展示物を食い入るように見た。 また、未完の映画「KUMAGUSU」のパイロット版の上映もあった。

 シンポジウムの最後、荒俣宏氏を進行役に4人のパネラーの座談会では、和歌山における南方熊楠の存在と、岩手における宮沢賢治の存在には多くのアナロジーがあるのではないかという意見が出された。 まさに我が意を得たりという展開。 パネラーのなかには仁坂吉伸和歌山県知事もいたのだが、東日本大震災の支援活動で和歌山県が属する関西広域連合ではそれぞれが東北の各県を支援し、和歌山はたまたま岩手県への支援として医師や土木技師などを派遣していたという。 もっとも今度はその和歌山県が台風12号の被災地となってしまったため、今はやむなく岩手県に派遣した人材を引き上げさせているとの報告。 今度は他県が和歌山を支援する番だ。
 岩手県の遠野も和歌山県の熊野もひところは陸の孤島のように交通の便が悪い場所であった。 その隔絶ゆえに生命の宝庫である原生林が残されたとも言える。 僕はまだ熊野に行ったことがない。 一刻も早く現地を訪れ、熊楠の残像を追い、森の中に分け入ってみたい。 そんな妄想に囚われている。 熊楠への興味は尽きない。

 なお、このシンポジウムの模様は12月11日午後2時からEテレでも放送されるので、ご興味がおありの方は是非ご覧ください。

 

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