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Odyssey

岩手の旅 2012春 釜石市箱崎町

 二日目の活動現場は釜石。 震災後の昨年の6月に初めて訪れて以来、釜石には何度か足を運んでいるが実際に活動をするのは初めてのこと。 これまでも大槌町に行く途中などにもその目抜き通りを通り、被災の状況を目の当たりにしてきた釜石。 現地入りする前にJR釜石駅そばにある釜石市VC(ボラセン)でトイレ休憩。 そこには昨夏にはなかった仮設の飲食店街が出来ていた。 その名も「釜石はまゆり飲食店街」、戦後のヤミ市がそうであったようにいつの時代も復興は食べて飲むことから始まるのだ。

 甲子川に架かる橋を渡り釜石市の中心部に入る。 さっそく昨夏との大きな変化が見て取れた。 まず第一に新日鉄釜石の駐車場を占拠していた瓦礫の山が跡形もなく消え去っていたこと。 第二に信号機に電気が通り、ちゃんと信号として機能していること。 さらに甲子川に近い市街地の奥まったエリアでは浸水した店舗の1階部分が復旧されて通常通り営業を開始していたこと。 まだまだ港に近づくにつれて廃墟のままの建物がそのままの状態なのには変わりないが、微かな復旧の萌芽を感じさせられる光景だった。 もちろん護岸に突き刺さっていた貨物船Asia Symphony号の姿もない。
 バスはそんな釜石市の中心部を通り過ぎて箱崎町へ。 この日の活動現場はこの町の個人の宅地跡の泥出しである。 遠野まごころネットが前線基地として使っているのが箱崎小学校跡。 ここに活動で使うショベルや猫車、清掃用具一式が置かれている。 この日は途中から雨模様となったので午後はこの箱崎小学校跡の見学と屋内清掃となった。
 活動中、基本的に被災地の写真を撮ることは禁じられているのだが、今もこの地に居住する被災住民の方たちに極力気を使ったうえで撮影する分には許可されたので校内の写真を数枚撮った。 僕も震災や津波の被害が風化し始めている現状においては、被災者のプライバシーに関わるようなものを除き、できるだけ被災地の生の姿を伝えた方がいいと思う。 一度でも現地であの瓦礫の山を見た人間なら、基準値を大幅に下回る線量しか検出されない瓦礫の受け入れを拒むことなど有り得ないと思うのだが、現実には自分の住んでいる土地の空間線量以下の数値しか出ていない瓦礫の受け入れを拒む人間も多い。 そういう連中は毎年春に黄砂に乗って中国内陸部から運ばれてくる核実験の放射性物質が大量に降り注ぐ西日本にでも移住して「安全安心」と念仏でも唱えていればいいのだ。
 2階の教室。 津波は2階建ての校舎全体を飲み込み屋上にまで達した。 さらに内陸の宅地にまで及び、約280軒の集落だった箱崎町は家屋の8割以上が流された。
 2階の廊下の突き当たりに掲げられていた児童手作りの町の地図。 学校がとても海に近接していることがわかる。 ただし裏山へも近く、避難ルートは確保されていた。
 校舎2階の廊下から港を望む。 平時であれば校舎から海が望めるロケーションは素晴らしいのだが・・・。 手前は校庭だった場所。 この箱崎小学校は既に取り壊されることが決まっている。

 遠野の拠点に戻る。 夕食はたまたま荷物置き場が隣になった男性と駅前の居酒屋に行くことにした。 30代後半だという男性は医療機器メーカーの営業職で、東京から週末を利用して来ているという。 冬期を除いて毎月遠野に来ていたそうである。 駅前にある居酒屋「Deん」。 まごころの陸前高田班の班長がおられる店。 男性は前夜もここで飲んだらしい。 なんでも鹿児島出身なのだそうだ。 ヤバい。 酒豪の鹿児島県人とサシで飲みだすと大変なことになる。 彼は明日の昼の新幹線で東京に帰るそうなのだが僕は明日も活動がある。 そんなわけで飲みたいのはやまやまだがここは軽く一献傾ける程度にとどめる。 釜石の酒「浜千鳥」に続き紫波の酒「月の輪」を飲む。 「美味い!」 「南部美人」に勝るとも劣らない清冽なのどごし。 東北の酒は真に日本の宝だと思う。
 注文した品を班長が直々にテーブルまで持ってきてくれるのでなんだか恐縮してしまう。 店を辞する時に訊いてみると、陸前高田は既に瓦礫撤去率100%を達成しており、今は遠野まごころネットでも人員を派遣していないのだという。 瓦礫の撤去率は地域によってかなり差があり、陸前高田のような場所もあれば釜石のように進んでいない地域もある。
 

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岩手の旅 2012春 釜石市箱崎町」への2件のフィードバック

  1. わたしも、2年前6月に遠野ボランティアセンターで泊。そこから箱崎へ、小川のがれき撤去の作業をしました。学校を拠点として、たいへんな作業でした。教室やそこから撮った海岸風景が、実になつかしいですね。

    投稿者: 匿名 | 2013年6月16日, 4:44 pm
    • はじめまして。 コメントありがとうございます。
      その時期はまだ打ち上げられたサンマなども相当数残っていたでしょうからさぞかし困難な作業だったのではと推察します。
      震災と津波は僕もそれまではあまり縁のなかった岩手に通う契機ともなりました。 どんなかたちであれ微力ながらまた復興の手伝いに行きたいと思っています。

      投稿者: noisyminority | 2013年6月16日, 9:05 pm

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