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Asian Affair, Odyssey

ヤンゴン→チェンマイ出張記2013 民主化の様相

スーレー・パゴダ いつもダウンタウンに宿をとる僕にとってのランドマークでもある

スーレー・パゴダ いつもダウンタウンに宿をとる僕にとってのランドマークでもある

 久しぶりにミャンマーとタイに出張してきた。 2010年に行って以降、翌年の東日本大震災や翌々年の事務所移転などもあって、行く機会を逃したままズルズルと時が経っていたのだった。 それでも大きな問題はなかったのだが、ミャンマーの突然の民主化に伴い、我々の商品の製造現場も少なからずその影響を受け始めたのである。
 誰もが喜ぶべきミャンマーの民主化はともかく、それに伴う市場開放や工業化は、かつての日本がそうであったように反作用としての家内工業的な手工業の衰退に直結する。 まさにそうした環境にプロダクションのベースを置いている我々にとってミャンマーの急激な民主化の進展は非常に気になるところ。 具体的には製品の質の低下と賃金の高騰ということになろうか。
 うちが主に取引しているメーカーはヤンゴンとチェンマイにあるのだが、以前この二都市間の航路に就航したものの運休していたエア・バガンが最近になって運航を再開したということで、いちいちバンコクに戻らずに取引先を回れるというのも有難かった。 これまではヤンゴンからチェンマイに行くためにはバンコクを経由せねばならず、それは東京から仙台に行くのにわざわざ鳥取を経由するような回り道だったのである。 そんなわけで2013年夏のヤンゴンとチェンマイを備忘録を兼ねてスケッチしておこうと思う。
路上のフルーツ屋台 ヤンゴンお馴染みの風景

路上のフルーツ屋台 ヤンゴンお馴染みの風景

 3年ぶりのヤンゴン。 我々が滞在したダウンタウンは英国の植民地時代に建てられた古いビルが多く、大規模開発が可能な土地も少ないので外見上の大きな変化は見られなかった。 もちろんいくつかの新しいビルが建ち、バンコクあたりにありそうなお洒落なお店も増えたが、一番の変化はクルマの倍増と車種の変化だ。 それまでミャンマーでは政府がクルマの輸入量を制限しているうえに「クルマの登録料」が日本円で1000万円近くするということもあって人気の日本の中古車も古くは60年代のものから現役で走っていたのだが、政府もこうした古い車両が引き起こす諸問題(燃費が悪い、安全性が低い、排気ガスが環境を汚染しているなど)を是正するために、2011年9月から古い車両を新しい年式の車両に取り替える政策を始めた。 これによって日本のクラッシックカーは街から姿を消し、最新型では2010年式のクルマなど、つい最近まで日本国内を新車で走っていた年式の中古車見かけるようになった。 うちの取引先もドアを締めるたびに絶望的な音を発していたボロボロのコロナからクルーガーに乗り換えていた。 登録料も大幅に減免され、クルマを所有するというステイタスは富裕層から徐々に中間層へと下りてきつつある。
 それから、前回まではそこらじゅうを走り回っていた日本の中古バスが「目立たなく」なっていた。 というのもそれまでは東急バスやJRバス、神奈川中央交通など日本で運行していた会社のカラーリングや文字がそのままになっていたのだが、今回はほぼすべてがラッピングバスになっていて車体が広告媒体そのものになっていた。 民主化によってもたらされた市場原理が日本の路線バスの存在を「隠蔽」する結果となったが、日本製クラッシックカーの消滅といいバスの車体からの日本語の消滅といい、日本人としては一抹の寂しさを感じるところである。
ロンジー姿のタクシードライバーも仕事そっちのけでスマホいじりに精を出す

ロンジー姿のタクシードライバーも仕事そっちのけでスマホいじりに精を出す

 携帯電話も開放された。 日本の街角から公衆電話が姿を消しつつあるのと同様、路上に机ひとつ、電話機ひとつ置いただけの「電話屋」もかなり少なくなった。 5年前は日本円で16万円ほどしていた携帯電話(SIMカード)の価格は徐々に安くなり、今年の4月24日から一気に150円ほどになった。 街中でスマホの操作に熱中している若者の姿は日本と何ら変わらない。 通信インフラは中国製のものを採用してしまったがゆえに通話品質こそイマイチだが、3年前には隣国タイの携帯電話ですらローミングしなかったのに今では日本の大手三社いずれもローミングしている。 たった3年前のことが前世紀のようにすら感じられる。 それだけミャンマーの変化は急激だ。
 急激な変化といえば、我々も数年前にミャンマーの工場を変えたのだが、それまで10年以上付き合ってきた社長の元旦那、僕も東京とヤンゴンで会ったことがあるのだが、まったく畑違いのレストランビジネスに鞍替えして大成功を収めていた。 「Padonmar」というミャンマー料理とタイ料理のレストラン。 なんでも2012年にホーチミンで開催されたITE(国際観光フェア)で「レストラン・オブ・ジ・イヤー」を受賞したという。 瀟洒な邸宅を改装したミャンマー料理とタイ料理のガーデンレストランで、オーナーと世界の政財界の大物のツーショット写真が所狭しと壁を埋めていた。 米共和党の重鎮ジョン・マケイン、投資家のジム・ロジャーズ、ジョージ・ソロス・・・。 たまたま今の取引先も御用達ということで招かれ遅い昼食をとったのだが、あいにくオーナーは不在で再会することはできなかった。 ミャンマー料理は苦手という方にもおすすめしたいレストランである。
ヤンゴン中央駅のコンコース まだ午後9時前にも関わらず閑散としていた

ヤンゴン中央駅のコンコース まだ午後9時前にも関わらず閑散としていた

The Strand Cafe やっぱりストランドはいい!

The Strand Cafe やっぱりストランドはいい!

 このように自分が実際に見た範囲でもそこここに変化の端緒が感じられる今のヤンゴンだが、日中に何度も停電する電力不足は相変わらず。 むしろ需要が増えるスピードに供給のそれが追いついていないので、かつてよりも電力事情は悪化しているようにさえ感じる。
 行く前には「民主化のヒロイン」ことアウンサンスーチー氏のアイコンがお土産物にまで使われているという、かつては考えられない情報も得ていたのだが、街中でそうしたものを見かけることはなかった。 唯一見かけたのが空港の売店のマグネットぐらいだが、空港ということもあって政府公認のお墨付きなのかも知れない。 もっともスーチー女史率いる国民民主連盟(NLD)の本部では様々なものが売られているようだ。

ミャンマーの新観光名所『国民民主連盟本部』はスーチーさんグッズでいっぱい! | ロケットニュース24

 ただし今日の民主化の多くは軍政ミャンマーを率いてきたタン・シュエから大統領職を引き継いだテイン・セインの功績によるところが大きい。 ミャンマーを取り巻く国際情勢と内圧が高まり臨界点に達しようとしていた国内情勢はこの国がこのまま「鎖国」を続けることを事実上不可能にしており、あとは何らかのきっかけを必要としていただけだったように思える。 テイン・セインが民主化路線に踏み出す前に、軍事政権は首都をくたびれた商都ヤンゴンから電力などインフラを整備した新都ネピドーに遷都し、法規制によって大財閥とともに地下資源などエネルギーに関する既得権益を確立し、富を吸い上げるシステムを構築したこともテイン・セインの改革路線が容認されている理由だろうと思う。
 ヤンゴンの民衆はいまだ50年前のインフラしかない「捨て置かれた」この旧都で民主化がもたらした降って湧いたような自由を謳歌しているように見える。 だがその自由の下、足元の薄皮一枚剥いだところには軍政ミャンマーの権力構造というこの国最強のインフラが巨大な暗渠となってすべてを飲み込むブラックホールのような口を開けている。 テイン・セインが真の改革者たらんとするなら、この権力構造に切り込むことは不可避だが・・・
 

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