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Critique

後藤健二さん殺害の報に接し

150201a 一連のベトナム戦争の取材のなかで撮影した「安全への逃避」でピューリッツァー賞を受賞し、その後カンボジアを取材中に狙撃されて死亡した沢田教一、同じくカンボジアでクメール・ルージュに処刑された一ノ瀬泰造、イラク戦争を取材中に襲撃されて亡くなった橋田信介、ミャンマーの反政府運動を取材中に軍の兵士に射殺された長井健司、シリア内戦を取材中に政府軍の銃弾に倒れた山本美香(いずれも敬称略)、彼らがいずれも戦争や紛争、内戦の最前線を取材する一方で戦下の子供たちや難民キャンプを取材していたのは偶然ではない。
 戦争という非日常を際立たせるためにも戦争の中の日常の取材は欠かすことのできないものであるし、最前線に身を置いていても銃撃シーンや砲撃シーンのような戦場の緊迫感をダイレクトに伝える映像はそうそうモノにできるものではないだろう。 そうしたなかでも一職業人としては暮らしの糧を得ていかなければならない。 新聞の一面や週刊紙の巻頭グラビアを飾るような写真が撮れなければ周辺地域を自らの足で取材して戦場のオフショットを撮らなければならない。 何より今の取材を継続するためにニュース素材としてマスコミに使ってもらえるような写真や映像を送ってカネを稼がなければならない。 フリージャーナリストやそれに近い独立系通信社となれば頻繁に難民キャンプを取材し、現地で雇ったガイドに撮影を任せ自分がカメラの前に立ちレポーターを務め日銭を稼ぐようなことも必要だろうし、なかにはそうした取材をするうちに軸足をそうした「戦争で虐げられる側」に置くようになる人だっているだろう。
 ただし戦場ジャーナリストなんて人種は所詮命懸けの一攫千金でカネになる写真や映像を撮るために自ら危険な地域に入っていくわけで、そんな無法地帯でいくら高邁な理想を語ろうが戦時下で日々の暮らしを脅かされている市井の人々に寄り添おうが、それらは自らの安全保障にら何ら寄与することはない。 たまたま地雷を踏んでも流れ弾に当たっても終わり、いわんや銃撃されても終わりだ。 今回のようにまったく話の通じないテロリストに人質にされても同様だ。 だから「シリアの苦しんでいる人々を取材していた」とされる後藤氏の経歴はおよそイスラム教とは無関係の鬼畜集団の前では何の意味も成さなかった。 残された本人のビデオメッセージを見てもわかるように彼自身はそうした前提を理解し、このような結末を十分に想定しつつISISの支配地域に入っていったのである。 
 この先もこうした悲劇はまた繰り返されるだろう。 我々がすべきはこうした悲劇が起きるたびにマスコミによって過剰にたれ流される故人の美談に涙することではなく、彼らが命を賭して伝えようとした現実を受け止めることだ。
 今回の事件で無念にも殺された二人の日本人のご冥福を心よりお祈りします。
 
INDEPENDENT PRESS

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