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Critique, Design

東京五輪のエンブレムについて

150731a 2020年東京五輪のエンブレムが炎上している。炎上の理由はエンブレムのデザインがベルギー・リエージュの劇場のシンボルマークに、配色がスペインのデザイン事務所が震災の時に日本に向けて発表したスマホ用の壁紙にそれぞれ酷似しているからだが、その「パクリ疑惑」発覚後もデザイナーの佐野研二郎氏にまつわる各種の燃料が投下されて延焼を続けている。同業者を中心に擁護派も存在するが、世の趨勢はこのエンブレムに厳しい視線を向けている。ちょうどザハ・ハディドによる新国立競技場が白紙撤回されたこともありタイミングも最悪。東京五輪にまたひとつアヤをつけられた格好だ。
 僕も昔はデザインの仕事をしていたから、こういうものがパクったつもりはないのに結果的に他の何か似てしまうことがあるということは感覚として理解できる。しかし、だからといって同業者が擁護一辺倒に回っている状況というのもこれまた実に不健全だと思うのである。

東京五輪のエンブレム盗用騒動について国内デザイン関係者がコメント 偏向報道を指摘する声も

 なにしろ事はオリンピックである。しかも日本人にとっては半世紀ぶりに地元で開催される夏のオリンピックだ。もちろんデザインの専門家などではない一般大衆だが、その一大イベントの象徴となるエンブレムへの反応がその是非はともかく過剰気味になるのはある意味当然のことである。故にその批評や批判に耐えうる製作者でなければそもそもコンペに応募すべきではない。だから同業者たちが擁護すればするほど当の本人は惨めになるだけだ。僕はデザイナー氏がプロフェッショナルとしてこれらのリアクションを一人できっちり受け止めるべきだと思うし、事実そうするだろうと思っている。
150731b だからこそ歴史に残る東京五輪エンブレムのデザイナーとして皮肉めいたハンドルネームやメッセージ、ベルギーを揶揄するような表記を残してツイッターのアカウントを非公開にしたまま放置すべきではない。

 追記(8/5):ツイッターのアカウントは本人曰く「乗っ取られた」模様。
 佐野氏ツイッター乗っ取られた「5月に閉鎖していたが…」 (スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース

 もちろん単純に比較の対象とすべきではないが、新国立の問題では槇文彦氏や伊東豊雄氏らがザハ案に当初から反対し、ザハ案の選定者であった安藤忠雄氏らとの間に対立軸も存在した。だが白紙撤回となった今、この対立が生産的なものとなるかはこれからの計画の如何にかかっている。
 一方グラフィックデザイン界では今のところこのような動きは見えてこない。安保法案成立を何とか阻止したいのに「法案は違憲」の原則論に凝り固まって思考停止した民主党ではないが、誰からも「対案」は出てこない。デザインを盗用されたと主張しているベルギーのデザイナーが訴訟の動きを見せてはいるものの、エンブレムが既に商標権の問題をクリアしている以上騒ぎはいずれ沈静化するということもあるのかも知れない。現実的にはエンブレムが公式発表される前の段階で様々なパブリシティーが水面下で動き始めていて、そこでは既に多くの金額が動いているはずで、IOCや大会組織委員会もいくらパクリの汚名を着せられようが何しようがこのエンブレムがザハの新国立のように白紙撤回することはないだろうと思われる。パクリだろうがオリジナルだろうが、もう賽は投げられたのだ。
 そこで、これから5年間もの長きに渡って我々が否応なしに目にせざるをえないこの東京五輪のエンブレムについて、ここではあくまで「オリジナル作品」としての評価をしてみたいと思う。
 公式発表の時の我が家の反応は、まず最初に「沈黙」で、やがてそれは「当惑」に変わった。多くの国民が抱いた第一印象が我が家と同じようなものだったかはわからないが、もしそうであったとするならば、その瞬間このデザインは失敗の烙印を押されたに等しい。
 そもそも五輪のエンブレムなどというものは、企業ロゴなどがその製品やサービスとともに長い時間をかけて人々に浸透していくのとは対照的に2020年の夏が終われば賞味期限切れとなり、記憶や映像のアーカイヴという文脈の中でしか生きられぬ運命にある。つまりこれから5年間、ありとあらゆる媒体で露出することで東京五輪への気運を高めるが最大の目的である。そこで可能な限り求められるのは人種も国籍も年齢も性別も異なるありとあらゆる人々が瞬時に読み解ける東京や日本のイメージであり、込められた明快な理念である。これ以外にない。
 良いデザインはそれ自体が多くを語りかけてくる。伝えるべきメッセージ、言葉を内包している。それはエンブレムを見た世界中の人間が容易に理解できるようなものであるべきだ。だから良いデザインには本来それを説明する言葉は不要だ。言語も文化も異なる世界中の人間が集うオリンピックという世界最大のスポーツイベントのエンブレムをつくる過程において、作者は説明的になることを極力排除すべきだ。なぜならそれはデザイナーとしての職能の欠如を自ら公にするに等しい行為だからである。150731c そうした視点で見る時、この作者によるデザイン意図の説明がすっと心に入ってくる人間が果たしてどれだけこの国に存在するだろうか?と思うのである。そもそも地元の日本人がわからないデザインが外国人にわかるはずもない。
 とっくにデザイナーから足を洗った僕の感性は一般大衆のそれに極めて近い。そのことにかけては自信がある。そんな僕がまず気になったのは真ん中の黒く太い柱である。喪章じゃあるまいし単純にオリンピックに相応しくない。その喪章に接しているのはひとつになった世界を表したという大きな円からはみ出さんとする右上の日の丸。TOKYO、TEAM、TOMORROW の「T」をあしらったのなら右下のシルバーの部分は何なのか?金と銀があるのに銅はないのか?そしてとどめの古臭いタイポグラフィーである。150731d だが僕がそれ以上に気になったのはパラリンピックのエンブレムである。デザイナー氏曰く「平等」「=」をイメージしているという。それならなぜ黒い二本線は横位置ではないのか?「=」は横位置だからこそ「イコール」なのであって、それが「II」のように縦位置になってしまっては、そこに上下のヒエラルキーが生じる。縦書き的な発想は日本人ならではとこじつけられないこともないが、世界中のほとんどの地域でこれを「=」と受け取ることは不可能である。
 つまり、いくら言葉を尽くして説明してみてもデザイナーがエンブレムに込めた意図や理念は非常にわかりづらいのである。もし作者が「まずデザインフィールドである正方形を設定し、さらにそれを9つの正方形に分割し、それぞれのグリッドに空白ないし幾何学的な図形を配置し、その図と地のゲシュタルトを日本らしい色彩で表現し、オリンピックとパラリンピックのエンブレムはそれぞれを重ね合わせた時に互いに補完し合うようなイメージを図案化してみました」などと言われたら、そのデザインの是非はともかく、納得し理解することはできたと思う。
 これが企業ロゴなら「そのいかにも後付けっぽいデザイン意図」は社員が相手に名刺を渡す時の営業トークにもなるだろうが、オリンピックのエンブレムに必要なのは、そんな営業トークを必要としない直観的なデザインであると信じる。その意味で招致の時に公募で選ばれたエンブレムの方が普通で良かった。当時これをデザインした大学生は、桜の色に五輪マークのうちの一色である黒を使うのを避け、「江戸むらさき」を使ったという。繰り返すが大学生は黒を使うことを忌避したのである。
 僕はこのエンブレムの方が普通にオリンピックらしくて好きだ。深い理由はないし、必要もない。150731e

東京五輪の招致ロゴをデザインした大学生が込めた思い – NAVER まとめ
続・東京五輪のエンブレムについて | Noisy Majority 

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