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Critique

コミュニケーション概論


 NHKのドラマ10「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語」が面白かった。鎌倉にある祖母の代書屋を継いだ主人公の鳩子が毎回依頼を受けて手紙を代筆するという話。依頼主が自分ではどうしても上手く書くことができないでいる手紙。鳩子はその思いを汲み取って文字を紡ぎあげ紙の上に定着させていくという困難な作業を、時に鮮やかに、時に苦しみながらもやり遂げていく。一通の手紙を仕上げるまでの鳩子の心模様と文具店に集う人々との交流が物語の本筋だが、鳩子が紙や筆記具を選ぶ過程、字体や見せ方へのこだわりなど、手紙という古典的なツールの奥深さを再認識させられた。またこのドラマの撮影者は「多部未華子を綺麗に撮る」ということにかけては毎回完璧な仕事をしたと断言できる。
 思い返せばしばらく手紙というものを書いていない。私信は電子メールばかりだ。この電子メールというものがなかなか厄介な代物で、言葉に質感や温度といったものを付与するのに毎回苦労させられる。仕事のメールにおいても同様だ。そこで思い至るのは「果たしてインターネットの普及は人間のコミュニケーションをより良いものにしているのだろうか?」という疑問である。たかだが二十数年前には世の中にそんなものは存在していなかったが、もちろん普通に仕事は成立していた。今の仕事を始めた当時は海外とのやり取りは電話かファックスのみ。ファックスで写真を送受信するなんて今思うと悪夢以外の何物でもないが、当時はそれが当たり前だった。
 現在では仕事のやり取りのほとんどは電子メールという方も多いだろう。その利点は相手を時間的に束縛しないことや、やり取りの内容がエビデンスとして残ること、様々な資料を瞬時に共有できることなどがあるが、電話のようにリアルタイムで双方向のコミュニケーションができるツールではないので、共通理解を得るためにはそれなりの時間がかかる。その性質上、一方通行の内容を相互にやり取りすることで双方向のコミュニケーションが成立しているに過ぎない。かつて電話一回で済んでいたやり取りが、メールを介することでより複雑で回りくどいものになり、無駄なやり取りを重ねてディスコミュニケーションに陥ることもしばしばだ。
 そんなわけで本当に意志を通わせたい時にはなるべく電話をするようにしている。単なる言葉のやり取りにとどまらず、互いの声色や息遣いを交換し合うことで、メールだとかえって複雑怪奇になりがちなコミュニケーションを単純かつ円滑にしたいのだ。
 ともすれば現代人は本来面会や電話一本で済むことをかえって電子メールでややこしくし、なおかつそのメールを書く為に膨大な時間を擁して本末転倒になっていたりする。僕の場合、一義的には自分のスキルが不足しているからだが、メールではどうしてもこちらの真意が伝わらない場合もあるし、電話はおろか面会しても意思疎通できない相手もいる。こうなるともはやお互いの考え方の違いを認めるほか手段がない。だがそれもひとつのコミュニケーションである。
 大昔に読んだ「記号論への招待」という本に「コミュニケーションとは、言うならば、自分が頭の中に抱いている〈抽象的な〉広義の思考内容のコピーを相手の頭の中にも創り出す行為である」とあった。コミュニケーションの定義を簡潔かつ明解に表現していて好きな一節だ。こうして文字にするのは容易だが、人類が未だに克服できない課題でもある。 

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